夜と霧 - UENOTE

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夜と霧

2009年06月15日 02:56


夜と霧夜と霧
(2002/11/06)
ヴィクトール・E・フランクル

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”大方の被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。
生きしのげられないのなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。

しかし、私の心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。
すなわち、私たちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。
もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。
抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、
そんな生はもともと生きるに値しないのだから。”



ナチスによって強制収容所送りにされたユダヤ人心理学者である著者による体験記で、
「戦争と革命の世紀」と言われる20世紀を代表するに相応しい一冊。

単なる日記的な「体験記」に留まらず、強制収容所での生活が精神世界に与える影響を考察し、
強制収用という「外的な運命」を乗り越える人間の強靭な内面の在り方を描く。

心理学者である著者が、あくまでも一人の「普通の被収容者として」体験した内容という体であるが、
それにも関わらず扇情的な記述は皆無で、著者の強く冷静な精神力が見てとれる。


”生きる意味を一般論で語ることはできないし、この意味への問いに一般論で答えることもできない。

ここに言う生きることとは決して漠然とした何かではなく、つねに具体的な何かであって、
したがって生きることがわたしたちに向けてくる要請も、とことん具体的である。
この具体性が、ひとりひとりにたったの一度、他に類を見ない人それぞれの運命をもたらすのだ。

だれも、そしてどんな運命も比類ない。
どんな状況も二度とは繰り返されない。
そしてそれぞれの状況ごとに、人間は異なる対応を迫られる。

具体的な状況は、ある時は運命をみずから進んで切り拓くことを求め、
ある時は人生を味わいながら真価を発揮する機会をあたえ、
またある時は淡々と運命に甘んじることを求める。

だがすべての状況はたったの一度、ふたつとない仕方で現象するのであり、そのたびに問いに対するたった一つの、ふたつとない正しい「答え」だけを受け入れる。
そしてその答えは、具体的な状況にすでに用意されているのだ。

具体的な運命が人間を苦しめるなら、人はこの苦しみを責務と、たった一度だけ課される責務としなければならないだろう。
だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。
だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。
この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引き受けることに、ふたつとない何かを成し遂げるたった一度の可能性はあるのだ。”


死と隣り合わせの毎日を生き抜いた著者が語る「生きる意味」は厚みがあり、
現代の平和な世界に生きる者にも十分に通用するだけの力がある。




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