ツチヤ教授の哲学講義 - UENOTE

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ツチヤ教授の哲学講義

2009年05月23日 01:01


ツチヤ教授の哲学講義ツチヤ教授の哲学講義
(2005/12)
土屋 賢二

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”本人が選ぶものについて、「本当はどっちなのか」と問うのはヘンです。

「本当は自分はどんな性格なのか」と問うと、あたかも自分の性格というものがすでにどこかに存在していて、それを探し出すみたいです。ちょうど宝探しのように、どこかに埋もれているのを探し出すみたいにね。

でも、実際には正直かどうかはあらかじめ決まっているわけではなくて
その人がいろんな機会に嘘をつくのを選ぶかどうかによってはじめて決まるんです。
だから、「本当は自分は正直な人間かどうか」と問うのは意味がないように思えます。

「本当は自分は正直なのか」と問うのは、ちょうど易者に「今日、ぼくはカツ丼を食べるでしょうか、カツカレーを食べるでしょうか」と聞くのと同じだと思うんですよね。
カツ丼にするか、カツカレーにするかは自分が決めることです。
だから、人に教えてもらうようなことではないんです。”



”われわれは不思議だと思うことがあれば、その問題には正解があるはずだと考えてしまいますよね。
そして、その正解を探そうとしますよね。

そうやって正解を探すときに、形而上学的な考え方が生まれる、とぼくは思うんです。
そういう哲学的問題は、いくら観察可能な事実を調べても解決できません。
もし観察可能な事実を調べて解決できるなら、それは哲学じゃなくて科学の問題ですからね。

そこで、観察可能な事実以外のところに解決を求めるようになるのは自然な成り行きです。
でも、ぼくとしては、解決を探る前に、その前提になっている「正解がどこかにあるはずだ」という考えを吟味する必要があると思います。そういう問題が無意味ではないかと疑う必要があると思うんです。
で、そういう問題がちゃんとした有効な問題かどうかを検討するのは実際には難しい仕事ですけど、哲学の仕事だと思うんです。”



軽妙でユーモラスな語り口で、プラトンら大哲学者による形而上学的議論をメッタ斬りにする一方、
ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」の世界観に賛同する。

哲学史などの知識ベースの本ではないので入門書としては不適かもしれないが、
内容自体はわかりやすく面白い。





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